メディアとしての写真論 ―想像のモビリティによる現代空間の変容に着目した―

Abstract

写真とは何か。この問いについて我々は様々な問いかけを行い、そして幾多もの書物が出された。それらは間違いなく写真という”芸術”の面をとらえている。しかしデジタルコンテンツが犇めき、サイバーネットワークがその存在を強めている現代において、その見方はもはや多面的な写真という”メディア”[1]を捉えるために十分なものとなってはいない。

本稿では現代のサイバーネットワークを介して、写真が社会的にあるいは地理的に、きわめて強い影響を与えうるということについての論拠を過去の論説を中心に記述する。まず従来までの写真に関する言説をレビューし、その功績および問題点について指摘する。その後主にジョン・アーリ(John Urry)、ジョナス・ラーセン(Jonas Larsen) 等によって提唱されている現代のモビリティについての言説について、主にイメージの表象という面からとりまとめ、主に日本の地理学において数少ないながらも認められるいくつかのサイバーネットワークや写真についての論考を、他分野におけるそれらの論考と比較検討し、最終的にこのような論考から何故前記したようなことが導き出せうるか、今後どのような研究を行なっていくかについて説明する。

 

1,”芸術”としての写真?

写真というものは、その形態において他のアート、絵画、音楽、動画、文学、インスタレーションなどの諸芸術と比較し、紛れもなく異なる性質をはらんでいる。即ちその消費性が極めて広範に及び、なおかつそれが虚構でないという前提条件が確認されている点である。この事を指摘したのがスーザン・ソンタグであり、彼女は著書「写真論」の中でこのように述べている。

 

…近代社会で事実上無制限の権威を持っている映像とは主として写真映像であって、その権威の範囲はカメラで撮った映像特有の諸性質に由来しているからである。(中略)なぜならまず写真は単なる映像(映画が映像であるようには)や現実の一解釈ではない。それは足跡やデスマスクのように一つの痕跡、現実から直接刷り取ったものである。(1979、p156)

 

このように、写真とは極めてオフィシャルな性質を持ちながら、同時にそれは無名の人々によって生産され、消費される。我々は、都市の中で、あるいは自宅で、種々累々の写真を眺め、あるいは旅行の中で、もしくはそれに類するモビリティの中で、写真を生産する。そして我々にとってそれは紛れもない証拠なのであり、系譜の証明なのである。

同時に写真は我々にとって、記録としてのそれを超えた感動をもたらすこともある。この写真の芸術としての側面もっともよくとらえたものとして、ロラン・バルトの論が挙げられる。(1985)我々の中に内在する写真への感動のファクターは、バルトの言葉を借りればプンクトゥム、即ち言い表すことのできない細部であるという。この論に立脚するのであれば、写真とは細部の集合であり、全体としての構成はその写真に導くための入り口にしか過ぎない。この理論は、確かに芸術としての写真を見事に言い表したものであり、それは基本的には否定しようがない。

しかし、”メディアとしての写真”を考えるとき、この論は不十分であると言わざるとえない。何故ならば我々の感動とは別に、上記したような消費物としての、生産され、伝達されるそれを意識せざるをえないからである。我々は写真を見るとき、それが真実であるということを前提とする。だからこそ我々は写真においてしばしばみられる虚偽的な幻想―その根幹はテクニックであったり仮想的モディファイであったりする―に対し、CGや絵画の超現実的なそれとは異なる感情を持ち得うるのであるし、それは我々にとって再現可能なものなのだ。セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』を我々は見ることができるとは思わないが、各地の景勝地の写真を見たとき、それは実際にあるものであり、我々が体験可能なものであると認識する。[2]ゆえに写真はメディアの媒体として最も有効なのである。

そしてこの論点を推し進めた研究として、ジョナス・ラーセン(Jonas Larsen)のモビリティと写真の関係性についての研究が存在する。次章ではそれを中心として、現代社会における顕著な現象であるモビリティについて、地理的空間への作用性についても内包したうえで解説する。

 

2,メディアとモビリティの現代社会における諸関係

まずモビリティとは何であるか。ラーセンは以下のようにそれを類型化しながら定義している。

 

l  Physical travel of people, as tourists, business people, exchange students and migrants.

l  Physical movement of technologies and objects, by train, wagon, plane, ships and so on.

l  Digital movement of images, music, film, texts, documents through emails, text messages and so on.

l  Imaginative/virtual travel of people through memories, images, brochures, Google Earth, home pages, blogs and so on.

l  Communicative travel of people via letters, text messages, telephones, emails and so on (J.Larsen, Urry & Axhausen, 2006).

 

ここで注目すべき点としては主に二つある。まず第一にモビリティがここでは必ずしも物理的地理的移動を伴わないものとして定義されていること、そして第二にいわゆる通勤、通学などの日常的に組み込まれた移動よりもむしろ、非日常的体験を伴うであろう往復的でない移動がモビリティとして強調されているということである。この論を押し進めると、モビリティとはその人間の、あらゆる意味での非日常の体験を表していると取れる。よって、先述したような通勤、通学のような日常的な移動であったとしても、それが何らかの要因によって非日常な性格を持つのであれば、それはモビリティに含有されていると取れ、その逆もまた然りである。

そしてモビリティが必ずしも物理的地理的移動を伴わないということは、モビリティとはネットワークを通じて拡散しうるということである。ラーセン、アーリ、アクスハウセンらによってimaginative mobility、想像のモビリティとして定義される物理的移動を伴わない空想的移動に依拠する体験は、現代社会の爆発的なサイバーネットワークの発達によって拡大を続けている。そしてその媒体となるのは何か。写真である。写真とは”真実”であり、そして誰の手によっても撮影する事が可能であり、また即座にネットワークに公表する事が出来、そして万人によって理解することができる。この写真が持つメディアとしての性格は、他のメディアでは得難いものであり、それゆえに写真というメディアは我々のイメージ、想像のモビリティを強く支配する。

ゆえにラーセンは以下のように、写真とそのモビリティへの転化についての研究の必要性を主張している。

 

…there is a need for home ethnographies to explore post-travel photography work and the afterlife of digital tourist photographs. It is through posttravel photography work at ‘home’ that the afterlife of each of the holiday photographs that made it home is determined and re-worked. The mobile and material biographies of photographs – how they travel, materialize, de-materialize and change meaning according to how and where they travel and (de)materialize – are central questions in relation to post-travel home ethnographies.(J.Larsen,2008)

 

さらに重要なのは、この想像のモビリティは物理的モビリティにも強く影響を与える、相互作用を持つという点である。即ち我々は想像のモビリティを通して物理的モビリティに移行することも多々あり、そしてそれはメディアとしての写真を通したものとなる。そしてその想像のモビリティによって期待されるものが肥大していくに従って、我々は現実世界の地理を変えることすらあるだろう。すなわち、現代社会の地理/空間を語るためには、想像される対象としての地理/空間、想像させるものとしての地理/空間を知らねばならず、そしてその流出の媒体となるのが”メディアとしての写真”なのである。

ウィッテル(Wittel)は以下のように、地理とサイバーネットワークの関係性について記述している。

 

…Networks are still strongly related to geographical space – like field. Unlike field, a network is an open structure, able to expand almost without limits and highly dynamic. And even more important: A network does not merely consist of a set of nodes, but also of a set of connections between the nodes. As such, networks contain as much movement and flow as they contain residence and localities. An ethnography of networks would contain the examination of the nodes of a net and the examination of the connections and flows (money, objects, people, ideas etc.) between these nodes.(Wittel,2000)[3]

 

そしてこのような論を前にすると、湧き上がってくるのがルフェーブルが著書『空間の生産』にて論じた「空間の表象」と「表象の空間」の現代における乖離論である。このモダンの抽象的な空間操作の特権性とローカリティの「空間の諸実践」における反目という構成概念は、サイバーネットワーク及びグローバリゼーションの発達によってその意味を変質させつつある。現代において我々は誰しもが「表象の空間」の側から「空間の表象」にコミットすることができ、そして上記したように空間を変容させる、すなわち「空間の諸実践」にすらローカルな面から影響を与えることができる。[4]しかし、そこで産まれ得る物は従来の人―場所、あるいは社会―空間という構成だけではなく、多種多様なメディアによってより影響され得るものとなっており、我々の場所における存在は「表象の空間」的でありながらその実、生活の中において、より強くメディアによって可視化され、意味づけられるものとなっている。

ルフェーブルは「表象の空間」を直接に生きられる空間と定義したが、現代においては我々のその体験、行動はメディアによってプレ体験、もしくは想像のモビリティによる支配を受けたものとして定義されるだろう。このように「空間の表象」と「空間の表象」という構成概念は、未だに「空間の諸実践」を巡るものとして機能しているものの、ネットワークの爆発的な発達によってメディアによって支配される側面が強まったことにより、相対的に同一化しているといえる。すなわち我々は空間的実践について語るとき、思考されるそれ、受容されるそれだけではなく、メディアによる仮表象を通じて投影されるそれについてより留意していかねばならない。

 

3,日本におけるサイバーネットワークや写真を対象とした地理学的論考について

情報空間を”地理”の対象とする研究は日本においてはいくつかの事例がみられるものの、単発に終わっているものが多く、またその研究も地理学によるものは少ない。

まず概説的ながらも荒井(2005)による地理学におけるサイバースペースの論考が存在する。これはラインゴールドやカステルなどの従来の理論を取り上げながら、これまで主に欧米で行われてきたサイバースペースに関する地理的論考を取り上げたものであり、よく整理されたものであるが、サイバースペースを空間として捉えているという点において、サイバーネットワークをメディアのフローを促進する一種の触媒として捉えるような本研究とは対象がずれている事も否めない。

また応用研究としては和田(2007,2010)によるサイバーネットワーク空間における、MMOによるビジネス展開を論じたものがあるが、これはその方法論が従来の経済地理学の枠を出ているものではなく、既往研究の分析も不十分極まりない代物であり、[5]また単なる記述分析に堕しており、参考として取り上げるには値しない。

日本の地理学におけるサイバースペースを扱った(扱おうとした)論文はこの他にめぼしいものは存在せず、残念ながら他分野においても地理と関連させたものは数が多いわけではない。まとまった物としては毛利(1997)による「情報空間の地理学」と題した一連の論考が存在するが、これもまた今までのサイバースペースに関する論旨を纏めたさまざまな論題からなる小論集であり、議論を進めるには深化が足りない。

このようにサイバーネットワークを扱った日本の地理的論考はその数、質共に欧米圏の研究に比して大きく劣っており、その必要性にもかかわらず研究は盛んではない。

一方写真に関しては、地理学と言う学問の性質上、デジタル・アーカイブやGISなどの領域においてその活用性が盛んに論じられているものの、写真そのものの性質について地理的に論じることや、メディアの流動による空間の変容について論じられたものは数少ない。この試みは石井(1983,1998)や成瀬(1997)らによって一定の成果が上げられているものの、前述したような写真の社会的な動きについて割かれた部分は少なく、それも名を持つものが発信する形態としてのそれであって、本稿で強調しているような無名の人々によって生産され、消費されるものとしての写真についてはほとんど述べられていない。しかし、前記したようにサイバーネットワークによる爆発的なメディアの氾濫を支えているのは紛れも無く無名の人による消費、および生産なのであり、空間の変容について写真を語りうるのであれば、そのアプローチは紛れも無くこの視点を欠いてはならないであろう。

また表象文化論の分野においては従来の芸術学的な方法論のみならず、写真を社会的に見る試みが田中(2007)らによって行なわれてはいるものの、その分析手法がバルトらを源流とするテクスト解析に頼っている部分が多く、実地調査を欠いているかもしくは行なっていたとしても物理的空間のありさまをテクストに対応させていくかのような、それこそ「空間の表象」側から「空間の諸実践」に対してアプローチをかけることに対する躊躇がまったく無いような研究となっている。

このように、日本における空間を視座とする写真研究は、ある程度認められるものの、地理学からのアプローチにおいては写真を社会的に見るという視点が欠けており、あくまでも私的行動としてのそれにのみ注目が集まっていること、表象文化論においては写真というメディアを社会的にどのように捉えられうるかという点については豊富な示唆を与えてくれるが、物理的空間へのコミットメントという点において、疑問符がつかざるを得ない。

このように写真と言うメディアはきわめてポピュラーなものであり、その性質について一般的に周知がされているにもかかわらず、その社会的役割と現代社会におけるその役割の変容、並びに実空間への影響についての論考は、フレームワークレベルでのものですらおぼつかないというのが現状である。故に、このような研究が早急に求められていると考えられる。

 

4,まとめ

本研究のオリジナリティは従来主に表象文化論、芸術学の分野で扱われてきた写真というメディアを、ルフェーブルやアーリ、ラーセンらの研究を元に社会的に取り扱い、それと共に急速に拡大するサイバーネットワークがこれらのメディアを媒体として物理的空間にどのようにして相互影響を与えうるか、という点に着目したところにある。すなわち従来地理学の分野においてサイバースペースは空間の一部分として捉えられてはいたが[6]そこに生じるフローについての、特に間接的に影響を与えうるようなものについての論考はほとんどなく、またモビリティに関する研究は、その地理学との近接性を持ちながらも、主に社会学の分野でのみ研究が行われており、著名な研究者であるアーリであっても、tourist gaze等の観光研究の参照数に比してその参照数は少ない。しかしアーリの諸主張の中で、モビリティの理論が極めて重大な役割―包括するものとしての―を果たしていることは間違いなく、[7]当然地理学の研究においてもその理論は援用されるべきであり、また有用なものである。

またラーセンが指摘するようにメディア、特に写真が、我々のモビリティに対し与える影響と言うものは決して無視すべきものではないことは明らかである。何故ならば我々のその行動、非日常的体験への欲求はその大部分を想像のモビリティに仮借しており、その中で主要な役割を占めるのが写真だからである。そしてその性質は現代社会の爆発的なネットワークの拡大によって増幅されており、我々の生活はもはやそれなしには立ち行かなくなりつつある。このメディアに欲求を仮表象させる動きは、モビリティを伴うがゆえに必然的に現実世界、物理的空間に影響を与える。そしてこの問題について地理学の分野から述べたものは数少ない。

さらに文化地理学、社会地理学の理論的支柱であるアンリ・ルフェーブルの第三弁証法は、現代においてもなお有効なアプローチでありうるが、メディアによる空間の仮表象に関しての動きを組み込めていないという問題が存在する。今回の論考においては完全な形で代替案を示すことができなかったが、今後の研究を通じ、より精緻なモデル化を行う必要性が存在することに変わりは無い。

以上のような問題意識の元、今後は実地調査を含めた上でこのモデルの正誤についての理論的研究を行っていく。具体的にはメディアによる場所の仮表象がもっともクリティカルな形で行われている観光の中でも、写真の使用頻度が高く、サイバーネットワークによる相互交流が盛んに執り行われている、オルタナティブツーリズムの諸形態の一つである”工場ツーリズム”に焦点を当て、いかにして現代の地理的事象に、サイバーネットワークならびに媒体としてメディア、特に写真が関わっているかについて検討する。(6586文字)

 

 

 

 

参考文献

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水内俊雄、大城直樹、多木浩二、吉見俊哉 「『新しい地理学』をめぐって」 10+1(11),1997,64-83

毛利嘉孝「モーバイル・テクノロジーについて–レイモンド・ウイリムズとモーバイル・プライヴァタイゼーション」10+1(11),1997,36-38

毛利嘉孝「サイバースペースの『第三の空間』–空間における権力の『再生産』と『交渉』」10+1 (10), 1997,41-43.

毛利 嘉孝「都市をめぐる2つのSF–サイバ-パンクとヒップホップ」10+1 (9), 1997, 35-38.

石井實 「地理写真再考 : 「『地と図』を読む」を読んで」 地理科学 53(2), 1998, 118-131.

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成瀬厚 「レンズを通した世界秩序 : 世界の人々をテーマにした写真集の分析から」 人文地理 49(1), 1997 1-19.

加藤政洋、大城直樹『都市空間の地理学』、ミネルヴァ書房、2006.

田中純『都市の詩学――場所の記憶と兆候』東京大学出版、2007.

スーザン・ソンタグ著、近藤暁人訳『写真論』晶文社、1979、p156.

ロラン・バルト著、花輪光訳『明るい部屋』みすず書房、1997.

エドワード・ソジャ著、加藤政洋、水内俊雄、大城直樹、西部均、長尾謙吉訳『ポストモダン地理学―批判的社会理論における空間の位相―』青土社、2003.

ジャン・ボードリヤール著、今村仁司、塚原史訳『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店、2008.

ジャン・ボードリヤール著、竹原あき子訳『シミュラークルとシミュレーション』法政大学出版、1984.

デヴィッド・ハーヴェイ著、吉原直樹訳『ポストモダニティの条件』青木書店、1999.

アンリ・ルフェーブル著、斉藤日出治訳 『空間の生産』青木書店、2000.

ジョン・アーリ著、吉原 直樹、武田 篤志、斎藤 綾美、高橋 雅也、大沢 善信、松本 行真、末良 哲訳 『場所を消費する』法政大学出版局、2003.

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マイク フェザーストン、ジョン アーリ、ナイジェル スリフト著、近森高明訳 『自動車と移動の社会学―オートモビリティーズ』法政大学出版局、2010.

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Wittel, A. Ethnography on the move: from field to net to Internet, Forum: Qualitative Social Research, 2000, 1(1), http://qualitative-research.net/fqs(2011年9月21日現在アクセス可能)


[1] いわゆるメディアというのは、特に社会学的な文脈の場合、新聞やTVなどのマスメディア、あるいはオルタナティブなソーシャルメディアなどという意味として捉えられやすいのだが、ここでは映像、写真などのコンテンツとしてのメディアを指す。

[2] このように、写真とそのほかの視覚芸術において、決定的に異なるのは、それが真であると同時に現実そのものではないという我々の共通認識である。

[3] この論はカステルのサイバーコミュニティ論をベースとしており、現在においてはその有用性に一抹の不安があるが、我々のコミュニケーションが深く一元化されていると言う点については異論はない。

[4] モダニズムにおいて強調された空間の抽象化(バウハウス運動、もしくはコルビュジエの論などはその代表格といえる)は、「空間の表象」の代表格であり、それが「空間の諸実践」を巡って「表象の空間」と対立するという構成概念となっていた。

[5] サイバーネットワークを取り上げながらその意味性について何一つ具体的な論考をいれず、ただひたすら既存の研究方法を応用するだけの姿には眩暈すら覚える。

[6] しかしながらそれすら怪しいという点については認めざるを得ない。水内(1997)が指摘するように日本におけるハーヴェイ、ソジャなどのニュージオグラフィーを牽引した地理学者の受容はカルチュラルスタディーズや社会学によるほうが早く、またベンヤミンやルフェーブルなどの前述した地理学者のバックボーンとなっている思想家の研究についても日本の地理学において行なわれているとは思えない状況である。

[7] 観光のまなざし論で行けば、我々のそのまなざしとはすなわちimaginative mobility―想像のモビリティ―によって社会構成主義的にかたちどられるものであり、我々が場所に対し影響を与えるとすれば、それは当然メディアの影響を受けたものとなる。

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